本日はミラコきた、という短い言葉がいちばんしっくりくる始まりだった。ホテルミラコスタに来る日は、入口へ向かう足取りから少し変わる。東京ディズニーシー25周年の「スパークリング・ジュビリー」が重なっているから、気持ちはなおさら前のめりだった。宝石の印を並べたくなるくらい、目に入るものをジュビリーの光として受け取りたくなる。大げさに構えるより、まずは「ミラコきた」と言いたくなるあの感じ。肩の力は抜けているのに、視線だけは忙しかった。
オチェーアノでは、東京ディズニーシー25周年“スパークリング・ジュビリー”ブッフェを頂いた。オチェ〜〜〜、と伸ばして言いたくなるくらい、名前を出すだけで気分がほどけていた。ブッフェという言葉だけで、味わう前の期待が一段上がる。そこにスパークリング・ジュビリーの名前が重なると、ただ食事をするだけではなく、周年の空気まで一緒に受け取る時間になる。派手な感想を並べるより、しばらくその響きに浸っていたい。その余白がよかった。
そのあとに「スパークリング・ジュビリー・セレブレーション」を見てきた。周年イベは本当にエモい、という言葉に尽きるのだけれど、実際にはもっと身体の反応が先に来る。スパークリングという響きの通り、気持ちの中で光が細かく跳ねる。ああ今この年の東京ディズニーシーにいるのだと分かった瞬間、喉の奥が少し詰まる。楽しいだけではなく、積み重なった時間をまとめて受け取るような重みがあった。25周年という数字が、ただの記念表記ではなく、自分の目の前でちゃんときらめいていた。
オチェーアノの余韻の中で、モフズの姿にも心を持っていかれた。一生いちゃついていて下さい、と言いたくなる場面があり、私の語彙が一気にゆるくなる。退勤モフズまで見送る流れは、食事やセレブレーションとは別の角度から、その日の柔らかい記憶になった。きちんと祝祭を味わっているのに、ふとした瞬間には「可愛い、もうずっとそのままでいて」としか言えなくなる。そういう振れ幅も含めて、ディズニーの一日は忙しい。感情が休む暇がない。
ミラコスタの装飾も、ヒェ〜〜と言いたくなるほど良すぎた。Mの文字を踏まないように入ったのは、自分でも少し笑ってしまうけれど、そうしたくなるくらい装飾の存在感があったのだ。足元の文字ひとつにも気を遣いたくなると、歩き方までゆっくりになる。カニ歩き男、という妙に強い言葉が残る場面もあり、ホテルの上品な空気の中にちょっとした可笑しさが混ざる。きらきらしたものだけでは終わらず、変なところで笑ってしまうから、記憶は余計にはっきりする。
気分はジュビリーミラコスタ固めのままだった。ホテルミラコスタのスパークリング・ジュビリーを見て、オチェーアノでブッフェを頂き、セレブレーションを見て、さらにアンバサダーホテルのハイピリオンラウンジでもスパークリング・ジュビリーの気配を持ち続ける。アイスの印と宝石の印を並べたくなるような、少し甘くてきらめく気持ちが頭の中で続いていた。今回の私は、東京ディズニーシー25周年の祝祭を一か所で完結させず、ホテルからホテルへ、食事から装飾へ、光から余韻へと抱えて歩いたのだと思う。ミラコの装飾を踏まないように歩いた自分の足元まで含めて、まだ少しにやけてしまう体験だった。